「嫌われる勇気」なんて、私にはありませんでした

02. HSP

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「嫌われる勇気」なんて、私にはありませんでした

「嫌われる勇気。」

そんな言葉を、
何度か目にしたことがあります。

全員に好かれる必要はない。

嫌われてもいい。

自分らしく生きればいい。

言っていることは、
分かります。

でも、昔の私には、
そんなふうに考えることができませんでした。

嫌われたくない。

できることなら、
誰からも嫌われずにいたい。
みんなからよく思われたい。

そう思っていました。

そして実は、
その気持ちは今も、
完全になくなったわけではありません。

私にとって「嫌われること」は、とても怖いことでした

誰かに嫌われたら、
その人との関係が変わってしまうかもしれない。

周りの人にも、
何か言われるかもしれない。

陰口を言われるかもしれない。

一人になってしまうかもしれない。

そんなことを、
次々と考えていました。

もちろん、
実際にそうなるとは限りません。

でも、当時の私は、
その可能性を考えるだけで怖かったのです。

特に学生時代は、
周りの人間関係が、
自分の世界の大部分を占めていました。

嫌われるということは、
ただ一人との関係が悪くなるだけではなくて。

自分の居場所まで、
なくなってしまうように感じていました。

それに、
一人になることそのものだけでなく、
一人でいる姿を周りに見られることも怖かったのです。

「友達がいないと思われたら、どうしよう」

そんな周りの目も、
いつも気にしていました。

だから私は、
「みんなから嫌われないこと」が何よりも大切でした。

嫌われないためなら、我慢できると思っていました

本当は嫌なことでも、
「いいよ」と言って。

自分とは違う意見でも、
「そうだよね」と合わせて。

誘われたら、
できるだけ断らない。

そんなふうに、
相手に合わせることが当たり前になっていました。

嫌われるくらいなら、
少しくらい我慢した方がいい。

嫌われるより、全然いい。

そう思っていたからです。

でも、その我慢は、
一つひとつは小さくても、
少しずつ積み重なっていきました。

本当は嫌だったこと。
本当は言いたかったこと。
本当はやりたくなかったこと。

全部自分の心にしまい込んで、
何もなかったように過ごす。

それでも、
「嫌われるよりはいい」と思っていました。

今振り返ると、
私は人との関係を守るために、
自分の気持ちを後回しにしていました。

「嫌われてもいい」と思えない自分がいました

「すべての人に好かれる必要はない」

その言葉の意味は、
頭では理解できました。

人には相性があります。

どんなに気をつけていても、
誰かと考え方が合わないことはあります。

それでも。

「じゃあ、嫌われてもいいや」

そんなふうには、
思えませんでした。

嫌われたら、悲しい。

嫌われたら、傷つく。

大切な人には、
自分のことも大切に思っていてほしい。

そんな気持ちが、
どうしても消えなかったのです。

だから私は、
「嫌われる勇気を持とう」という言葉を聞くたびに、
少し遠く感じていました。

その考え方が間違っていると、
思っていたわけではありません。

ただ、
私には、その勇気がなかった。

それだけでした。

嫌われる勇気がなくても、少しずつ楽になりました

大人になってから、
以前ほど人間関係で無理をすることが、
少なくなりました。

それは、
私が強くなったからでも、
嫌われることが怖くなくなったからでもありません。

社会人になって、
自分の時間が増えたこと。

自分が誰と過ごすか、
何をして過ごすかを、
以前より自由に選べるようになったこと。

そうした環境の変化が、
大きかったと思います。

学生時代は、
毎日のように集団の中で過ごしていました。

自分とは合わない人とも、
一緒にいなければならない。

本当は気が進まなくても、
周りに合わせなければならない。

そんな場面が、
たくさんありました。

でも、今は。

自分の好きなことをして、
自分の大切な人たちと過ごす。

そんな時間を、
以前より多く持てるようになりました。

誰かに嫌われないために、
無理をする場面そのものが、
少なくなったのです。

だから、
自分の気持ちを大切にすることも、
自然とできるようになったのだと思います。

もし今も、
学生時代のような集団生活や、
浅い交友関係の中で過ごしていたら。

私は、同じように考えられていたでしょうか。

正直、分かりません。

きっと今でも、
嫌われることを恐れて、
無理をしていたと思います。

だから私は、
「嫌われる勇気を持てたから、楽になった」とは言えません。

嫌われる勇気がなくても、
無理をしなくていい環境に近づけたことで、
少しずつ楽になった。

私の場合は、
それが一番近いと思います。

誰かに嫌われることと、自分の価値は別のこと

昔の私は、
誰かに嫌われたら、
自分に何か問題があると思っていました。

嫌われるのは、
自分が悪いから。

好かれないのは、
自分に魅力がないから。

そんなふうに、
人からの評価を、
自分の価値と結びつけていました。

でも、人にはそれぞれ、
違う考え方や価値観があります。

どちらかが悪いわけではなくても、
合わないことはある。

相手の期待に応えられないこともある。

それだけで、
自分のすべてが否定されるわけではありません。

もちろん、
自分の言動で誰かを傷つけてしまったなら、
振り返ることも大切です。

でも、
相手にどう思われるか、
すべて自分で決めることはできません。

誰かに好かれるかどうかだけで、
自分の価値を決めなくてもいい。

今は、そう考えています。

嫌われる勇気がなくても、自分を大切にしていい

私は今でも、
嫌われる勇気があるとは言えません。

できれば、
誰とも嫌な関係になりたくない。

大切な人とは、
これからも仲良くしていたい。

その気持ちは、
昔とあまり変わっていません。

でも、今の生活の中では、
自分の大切なものや、
自分の気持ちを、
以前より大切にできています。

自分の好きなことをする時間。

気を張らずに過ごせる時間。

大切な人と過ごす時間。

そうした時間が増えたことで、
以前より穏やかに過ごせるようになりました。

もちろん、
誰もが簡単に環境を変えられるわけではありません。

人間関係を選べない場所で、
頑張らなければならないこともあります。

だから、
今も嫌われることが怖くて、
無理をしてしまう人に、

「もっと自分を大切にすればいい」

そんな簡単な言葉で、
片づけたくはありません。

私自身、
環境が変わらなければ、
今も同じように悩んでいたかもしれないから。

嫌われる勇気がない自分を、
無理に変えようとしなくてもいい。

自分にとって、
少しでも無理の少ない過ごし方を見つけること。

それも、
自分を大切にする一つの方法だと思っています。

最後に

昔の私は、
嫌われないことに必死でした。

誰かに嫌われるくらいなら、
自分が我慢すればいい。

そう思っていました。

今も、
嫌われることは怖いです。

もし、また毎日のように、
周りに合わせなければならない環境に戻ったら。

きっと、
昔のように無理をしてしまうと思います。

でも、今は。

自分の時間を持ち、
自分の大切なものを大切にできる生活の中で、
以前より穏やかに過ごせています。

それは、
私が強くなったからではなく、
自分に合う過ごし方を選べるようになったから。

「嫌われてもいい」と思えなくても、
「嫌われる勇気」を持てなくても。

自分にとって無理の少ない環境を選ぶことで、
少し楽になれることもある。

私は、そう感じています。

嫌われる勇気がない自分を、
無理に変えようとしなくてもいい。

これは、
今の私が感じていることです。

もし、この記事を読んで、
自分と重なるところがあったなら。

「こんな人もいるんだ」

そう感じてもらえるだけで嬉しいです。

あなたにも、
無理をしなくていい時間が、
少しずつ増えていきますように。

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