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空気を読むことだけが、私の特技でした
昔の私は、
空気を読むことが得意でした。
誰かの表情が、
ほんの少し曇ったこと。
声のトーンが、
いつもと違うこと。
会話が、
ふと途切れたこと。
そんな小さな変化にすぐに気が付き、
いつも気になっていました。
「あの人、今つまらなそう」
「この話は、もうやめた方がいいかな」
「私、何か変なことを言ったかな」
周りの人が何を考えているのか。
どうすれば、
その場の雰囲気を悪くせずに済むのか。
いつも、そんなことばかり考えていました。
「気が利くね」と言われるのが嬉しかった
周りからは、
「気が利くね」
「優しいね」
「空気が読めるね」
そう言われることもありました。
そんな言葉をもらうと、
自分にもいいところがあるんだと、
少し嬉しくなりました。
相手の気持ちを考えられること。
小さな変化に気づけること。
その場に合わせて行動できること。
それが、
私の長所なのだと思っていました。
でも、今振り返ると。
少し違ったのかもしれません。
私は、空気を読みたいから
読んでいたわけではなくて。
空気を読み続けないと、不安だった。
それが、当時の私の本当の気持ちだったのだと思います。
誰かの機嫌が悪いと、自分のせいだと思っていました
誰かの表情が曇ると、
「私、何かしたかな」と考える。
誰かの返事がいつもより短いと、
「怒っているのかな」と不安になる。
会話が途切れると、
何か話さなければいけない気がする。
たとえ自分に関係のないことでも、
その場の空気が悪くなると、
落ち着かなくなっていました。
誰かが黙っているのは、
ただ疲れているからかもしれない。
機嫌が悪そうに見えるのも、
別のことで悩んでいるからかもしれない。
でも、当時の私は、
そんなふうに考える余裕がありませんでした。
「私のせいかもしれない」
そう思うと、
自分の言動を何度も振り返ってしまう。
そして、
どうにかして空気をよくしなければと、
一人で必死になっていました。
誰かの気持ちの変化を、
自分の責任のように感じていたのです。
特に、学生時代の集団生活では、
こうした気持ちを強く感じていました。
3人以上での会話や、
ふと訪れる沈黙。
当時の具体的な経験については、
こちらの記事で詳しく綴っています。
【集団行動がしんどいのは、“甘え”じゃない】
空気を読みすぎて、自分の気持ちが後回しになっていました
周りの人の気持ちを考えることに必死で、
自分がどう感じているか、
考える余裕はあまりありませんでした。
「私は楽しいかな」よりも、
「みんなは楽しんでいるかな」
「私は行きたいかな」よりも、
「断ったらどう思われるかな」
「私はどうしたいかな」よりも、
「周りは何を望んでいるかな」
そんなふうに、
いつも自分の気持ちは後回しでした。
本当は嫌なのに、
「大丈夫」
本当は違うと思っていても、
「そうだよね」
本当は行きたくないのに、
「いいよ」
そうやって周りに合わせていると、
その場は穏やかに過ぎていくこともありました。
でも、一人になったとき。
「あのとき、本当は嫌だったな」
「どうして断れなかったんだろう」
そんな気持ちが、
後から出てくることもありました。
周りの気持ちには、
あんなに敏感だったのに。
自分の気持ちには、
なかなか気づいてあげられなかったのです。
相手の気持ちは、いつも正しく読み取れるわけじゃない
大人になってから、
少しずつ考えるようになったことがあります。
それは、
私が感じ取った空気が、
必ずしも相手の本当の気持ちとは限らないということ。
相手の表情が曇ったからといって、
私に怒っているとは限らない。
返事が短かったからといって、
嫌われたとは限らない。
会話が途切れたからといって、
誰かがつまらないと感じているとも限らない。
私はずっと、
周りの小さな変化に気づくことと、
相手の気持ちを理解できていることを、
同じように考えていたのかもしれません。
でも、本当の気持ちは、
本人にしか分からないこともあります。
相手の様子が気になったとしても、
すぐに自分のせいだと決めつけなくていい。
そう考えられるようになってから、
少しだけ気持ちが楽になりました。
空気を読むことを、やめたわけではありません
今でも、
相手の表情は気になります。
声の変化にも気づきます。
その場の雰囲気を、
つい気にしてしまうこともあります。
長年の癖が、
急になくなったわけではありません。
でも、以前と少し変わったことがあります。
それは、
気づいたことのすべてに、
自分が対応しなくてもいいと思えるようになったこと。
誰かの機嫌が悪くても、
私が必ず直さなければいけないわけではなくて。
その場が静かになっても、
私が無理に話題を作らなくてもいい。
誰かが困っていそうなときも、
いつも私が何とかしなくてもいい。
もちろん、
相手を思いやる気持ちは、
これからも大切にしたいです。
でも、そのために、
自分が苦しくなるまで頑張る必要はない。
空気を読むことと、
空気の責任をすべて背負うことは、
違うのだと思います。
周りの空気だけでなく、自分の気持ちにも気づいてあげたい
空気を読むことは、
悪いことではないと思います。
周りの変化に気づけることも、
相手を思いやれることも、
大切にしたい自分の一面です。
ただ、これからは。
「みんなはどう思っているかな」
そう考えるのと同じくらい、
「私は今、どう感じているんだろう」
「本当は、どうしたいんだろう」
そんなふうに、
自分自身にも問いかけてあげたいです。
誰かの表情が気になったとき。
その場の空気が重く感じたとき。
すぐに何とかしようとする前に、
少しだけ立ち止まってみる。
本当に自分が何かする必要があるのか。
それとも、
ただ気になっているだけなのか。
そんなふうに考える余裕を、
少しずつ持てたらいいなと思っています。
最後に
昔の私は、
空気を読むことが、
自分の特技だと思っていました。
でも、今は。
空気を読むことが得意だったというより、
空気を読まなければ安心できなかった。
そう感じています。
今でも、
周りの空気を気にする私がいます。
それでも、
誰かの気持ちを考えることと同じくらい、
自分の気持ちも大切にしていきたいです。
周りの空気を読むことだけが、
私の役割ではない。
そう思えるようになったことが、
私にとって一つの変化でした。
もし、この記事を読んで、
自分と重なるところがあったなら。
「こんな人もいるんだ」
そう感じてもらえるだけで嬉しいです。
周りの気持ちを大切にするのと同じくらい、
自分の気持ちにも、
優しく目を向けられますように。




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